忍者ブログ
日々の積み重ねの一つ一つが思い出…そう、毎日は記念日なのです!…自分で言っててよく分かんないけどoTZ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【出典:発言/秋葉忠利廣嶋市長(2010年平和宣言より)】
「こんなに恐ろしいことはほかの誰にもあってはならない」
廣嶋弁にて語られたその言葉は、まさしくヒロシマの、そしてそこに生まれ育った当方の紛うことなき思いです。今年で65回目を数えた平和記念式典国連事務総長や原爆を落としたアメリカの大使が初めて出席するなど、その思いが少しずつでも広がりつつあるのは喜ばしいです。反面、米国内では退役軍人達が出席に反発していたり、被爆者の中にも”今更”という声があったりと決して素直に喜べるわけではない部分もあるのですがoTZ
で、今日を迎えるにあたり、当方も過去6年間の原爆に関する己の日記を読み直してみました。長いので畳みますが、今日はその日記をテキストとして貼っておこうと思います。

≪甘い物≫
明治乳業「ブルガリアヨーグルト ストロベリー」朝食。8時15分のサイレンと共に。
森永製菓「ハイチュウ ポンジュース味」おやつ。冷蔵庫で冷やしておいたもの。ま、冷やし過ぎて固かったけどoTZ
わらび餅晩デザート。冷えた和の甘味に贅沢を感じてしまうのは、今日がそういう日だからなのでしょうか…。


≪当方の記した過去の記録≫
05.8.5.
明日は、廣嶋人なら誰でも語らずにはいられない日です。
60年前の8月6日午前8時15分に、高度8500mに飛来したB-29エノラ・ゲイによって投下され、地上から580mの地点で炸裂した一発の原子爆弾「リトル・ボーイ」―それは、一つの都市を一瞬で地獄にする兵器を、人類が手にした瞬間でした。爆風で市街の92%が壊滅、死者は14万人を数え、同時に放射線被害はいまだに被爆者を苦しめ続けています。
60年の月日―それは悲しいかな、傷付いた心と身体に癒しをもたらすにはあまりにも短い期間であると同時に、その記憶を風化させるには十分な期間でもありました。ここ廣嶋は郷土の歴史ゆえに惨禍を伝える資料に事欠きませんが、それでも原爆に対する理解の乏しさは目に余ります。8月6日が何の日かすら知らない人の何と多いことか…関心の低下は、原爆慰霊碑を傷付けるというクズ野郎の暴挙という形でも現れました(注釈:この年、原爆慰霊碑が一人の男に傷付けられるという事件が発生)
が、ここを見ている方々にもちょっと考えてほしいんです。
日本は唯一の被爆国で、それゆえに平和憲法を持っている、ということになっています。しかし、その”被爆した”ということへの関心が薄らいでいるのです。要するに、憲法の根幹部分、即ち国の根っこがぐらついているということなのです。
原爆体験の風化…これは原爆が再び使われる可能性と直結しています。傷付けられた原爆慰霊碑に書かれた「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という言葉が無に帰してしまうかもしれないのです。惨禍を知る者として、私はそれが怖いのです。
実は以前、原爆のことを調べていて、ある被爆者のこんな言葉に突き当たりました。
『思い出したくなどないから話しません。しかし、何年経とうと忘れてはおりません』
しかし、現在廣嶋では、今まで口を閉ざしていた人々がその重い口を開いて体験を語るということが非常に増えています。裏を返せば、それだけ被爆体験が風化しているということです。
原爆の悲惨さは、例えば原爆資料館の資料、例えばマンガ「はだしのゲン」、そしてそのアニメ版…etc.少し探せばすぐに見ることができます。そして、その中に描かれているのは老若男女を問わず、目玉が飛び出し、皮膚はただれ、人と思えぬ異形となって歩いて行く姿―それを現実に、目の前で見た人々の苦痛はいかばかりでしょう。PTSDという言葉すら存在しなかった時代、それを乗り越える辛さ…想像を絶するものであったことでしょう。
あなたは、自分が思い出すのもはばかられるような体験を、精神的苦痛に耐えつつ語らねばならないとしたら、どう感じますか?
しかし、それを人々がすげなく無視するとしたら、どう思いますか?

悲惨な体験、という意味では、原爆の体験は9.11の同時多発テロの体験と重ね合わせられることもありました。未だその心痛から解放されていない人々も多いと聞きます。その体験から、自分が痛い思いをして初めて原爆で苦しむ人々の痛みが理解できたというアメリカの人もいました。
しかし、このテロを計画したテロリスト達は、これを日本から、「神風」から学んだ、と言っています。では、我々には、被爆という体験をした日本には、その結果、即ちそれがもたらす限りない苦痛と心痛というものを教える責任もある、と言えないでしょうか。
そのためにも、我々が、原爆の体験を決して無にしてはならない…廣嶋人として、明日の原爆の日を前に、心よりそう願います。
05.8.6.
今日は、廣嶋が祈りに包まれた一日でした。
昨日も書きましたし報道等でも御存知とは思いますが、原爆投下から60年の節目の年…今日行われた平和記念式典で、悲劇を繰り返させないための決意が新たにされました。1945年末に14万人だった死没者は、この60年で24万人になりました(注釈:現時点では26万人)。加えて、被爆者の高齢化により被爆体験が薄れつつある危機感は、多くの人が持っています。ゆえに今年の平和宣言は、被爆者の記憶の継承と核兵器廃絶への行動に重点を置いたものになっていました。悲劇を体験し、そこから立ち直った廣嶋…それは、廣嶋人の誇りであり、優しさであり、活力の原点でもあります。ここに住む者として、当方はこのことを片時も忘れません。
で、もう少し原爆のことを思い出そうと昔の資料を開いてみると…数年前に当方が書いた原爆に関する文章がありました。以下引用。
『ご存知とは思うが、原爆は戦後の勢力図のために落とされたものである。秘密会談で既に取り決まっていたソ連参戦で日本の敗北は決定的だった中、アメリカの力で日本を降伏させた、と人々に見せようとするために使われたのである。が、結果はご存知の通り、米国人の大半はそう信じ込まされてしまった。そうではないことを示そうと、スミソニアン博物館館長(当時)が原爆展を開催しようとしたが、圧力で中止に追い込まれ、館長は職を辞した。思えば、核兵器開発競争の中、核兵器の観点にはかなり差がある。日本では「核兵器」とは「大量殺戮のための最終兵器」という意識が強いが、外国ではそうではない。彼らにとっての「核兵器」とは、特殊性はあるものの単なる武器の一つなのである。核兵器は小型化されて、今や戦闘機や戦闘車両からも発射できる時代になった。要するに、戦闘機は任務に応じて武装を変えるが、核兵器はその”オプション兵装”の一つに過ぎない、というのである。今、平和な時代にあって、あえて問いたい。核兵器は、そんな生易しいものか?そして、その恐ろしさをとくと思い知っている我々は、その悲劇を繰り返す可能性を見ながら、それを放っておいて良いものなのか?これは、被害を受けた都市の者の強すぎる妄想なのだろうか。そうであって欲しくない。』(中略)しかし同時に
『一家の大黒柱を失った私の戦後は、死ぬまで終わりません』
『私の心の平和は、この世界を去る時に来ると思います…』

このような被爆者の心の叫びが書かれていたことも思い出しました。全ての被爆者が、昨日書いたようにトラウマに耐えて言葉を発することができるほど強いわけじゃない…それを思うとき、真に原爆について語らなくて良い世界が来ることを願って止みません。
05.8.9.
今日は長崎の原爆の日でした。以前から長崎市長は廣嶋市長と比べて発言が具体的でラディカルなのですが、今回の平和宣言もアメリカへの痛烈な批判、日本政府への強い要望、NGOに関する発言など「らしさ」を感じさせる宣言でした。(中略)今なお苦しみ続ける被爆者の実態を見るとき、同じ被爆都市の者として、平和と優しさと心遣いをいつも胸に置きたいという気持ちを新たにさせられました。
06.8.5.
廣嶋の夏は、他のどんな夏よりも重い。
忌まわしきあの日がある限り―
oTZ
明日、廣嶋は61回目の鎮魂の朝を迎えます。
去年の同じ日の日記にも書いていますけど、原爆は地獄を作り出す兵器です。都市一つを一瞬で吹き飛ばしたその威力だけに目を向けがちですが、61年という年を経ても人々の脳裏から消えない光景や、今なお年老いた被爆者を苦しめる恐るべき放射線など、破壊以外の影響も決して生半可ではありません。人を傷付ける直接の殺傷力と首を真綿で締めるような残忍さを併せ持つのが、原爆というものなのです。これを使ってしまったことは人類史で最悪の過ちの一つに数えられると言っても過言ではありません。それ故に廣嶋は、この兵器を「絶対悪」として、二度と使ってはならないと世界に訴え続けているのです。
廣嶋では、若者にもその精神を教えるべく平和教育が行われてきました。当方も思い出してみますと、小学校は授業で毎年原爆に関する資料が映像、体験談、写真などあらゆる形で提供されました。原爆の悲惨さを学び、平和の尊さを知る―その点において、これは大きな意味を持ってきたと思います。勿論、追体験できない(そして、させてはならない)だけに、それを体験していない世代が原爆について知るには限界がありますが、それでも原爆の記憶を風化させないことには大きな意味がある筈です。
そんな平和教育の一つで、当方が決して忘れられないものがあります。
「はだしのゲン」のアニメ映画です(注釈:リンク先YouTube。グロ注意)
夏休みの登校日、冷房も効かない暑い体育館の暗がりの中で見たその映画は、アニメとはいえ、老若男女を問わず(犬でさえ)目玉が飛び出し、皮膚が焼けただれて死んでいく…そして生き残った人もゾンビを思わせるような異形となって身を引きずるように歩いていく…そんなシーンをはっきりと描いていました。その光景は、どんなホラー映画よりも恐ろしかったものです。体育館では恐怖のあまり泣き出す子、漏らしちゃう子、そしてトイレに駆け込んで嘔吐する子が続出しました。…実は当方もゲロったクチなんですがoTZ
20年以上前の思い出ではありますが、その絵は未だに当方にとって頭から離れないトラウマとなっています。でも、これは被爆者の方々の経験を擬似的に追体験することに繋がったような気がします。フィクションではなく、1945年8月6日に実際に生じた出来事である故にその地獄絵図の中に自分がいたらどうだろうか、それを眼前で見た人々の心の痛みたるやいかほどか、そしてその光景を現実に起こし得る兵器が全世界に(ぶっちゃければ隣の国にも)散在するという現実をどう受け止めるか、それを再び繰り返させないために自分たちには何ができるか…それを考えさせる、痛々しくはあっても決して無意味ではないトラウマだと思うのです。
だから、前述の「はだしのゲン」でも被爆者の生の声でも焼け焦げた弁当箱をはじめとする原爆資料館の品々でも良いから、この原爆が起こした現実というものを、何らかの形でトラウマとして胸に刻んでほしい…当方はそう願います。
皆様の心に何か残れば嬉しいです。感想お待ちしています。
06.8.6.
今年もまた、あの日がやって来ました。
ジリジリと照りつける、まさにあの日を想起させるような夏の日差しの中行われた平和記念式典。午前8時15分―鳴り響くサイレンと共に廣嶋中が沈黙し、平和への思いを新たにしていきました。当方も、あの日に思いを馳せながら、少々落涙してしまいましたoTZ
式典の詳細や平和宣言はニュースや報道等でご存知と思います。が、原爆は決して過去の出来事ではないのです。61年経った現在でもその苦しみは続いています。
今年、慰霊碑には「氏名不詳者多数」と書かれた名簿が入れられました。これは、未だに死亡者の数すら明確になっていない実態を示しています。原爆症認定に関する裁判でも国の認定基準の「限界や弱点」が指摘され、被害の実態がはっきりしていない事実が浮き彫りになりました。(中略)まだ終わっていない、そして終わらせてはならない―故に、当方はこの事実を片時も忘れまいと改めて思うのです。
人の痛みが分かる廣嶋人でありたい。
平和を追い求める廣嶋人でありたい。
希望を忘れぬ強い廣嶋人でありたい。
いつも後ろ向きな当方に前を向かせてくれるこの日に、哀悼と共に深い感謝を。

06.8.9.
今日は長崎の原爆の日でした。毎年そうですが、今年も長崎市長の宣言は廣嶋市長よりラディカルでしたね。核の脅威の増大に対して明確に怒りをあらわにし、名指しで核保有国を非難するなど痛烈です。とはいえ、核兵器のない世界を求める姿勢は変わりません。当方も廣嶋人として、そのような世界を強く望む次第です。
07.8.5.
明日、廣嶋はまた、あの日を迎えます。
人類が自らの手で犯してしまった行為…たった1発で都市を灼熱と放射能の地獄とする兵器を使った(そして、悲しいかな今もそれが使えるようにしてある)という愚挙を語り告げることを、当方はこの都市に生まれ育った者として終わりなく続けていくでしょう―この悪夢を忘れぬように、そして二度と繰り返さぬようにと願いながら。
07.8.6.
地獄の業火に焼き尽くされた街の苦しみを、貴方は知っているか―。
今日は62回目の廣嶋原爆記念の日でした。
思うに、今回の平和宣言は、市長にしてはキツめの表現も多かったですね。昔から「怒りの廣嶋、祈りの長崎」と言われてはきましたが、核開発を強引に進める国家の存在、日本の政治家の原爆しょうがない発言、米国高官の原爆正当化論など見過ごせない事態が少なからずあり、即ち人々の中で原爆体験が風化しつつあることへの危機感を強めたのでしょう。被爆者の平均年齢は既に74歳になっていますし「平和への誓い」の子供たちが語った「廣嶋を遠い昔の話にはしない」という言葉からもそれは感じ取れます。凶弾に倒れた前長崎市長のラディカルさへのオマージュもあるのかもしれません(注釈:この年の4月17日、当時の伊藤一長長崎市長が射殺される事件が起こった)。…こう考えると、この1年は廣嶋にとって実に痛い1年だった気がしますoTZ
ただ、市長も指摘していますがこれは全ての人に投げかけられた言葉です。そして特に唯一の被爆国であり、平和憲法を持ち、今現在平和を享受しているが故に、被爆者のことを、そしてその心身の苦しみを、そして核兵器の愚かしさを知る責任がある全ての日本人への言葉でもあります。
だから当方は、もう一度聞きます。
地獄の業火に焼き尽くされた街の苦しみを、貴方は知っているか―。
08.8.5.
毎年恒例、ツァヤ★ミがシリアスになる日がやってきました。
地元の新聞では核廃絶と平和に向けた特集が今年も連日組まれています。高齢化する被爆者しか知らない地獄…でもそんなことを気に掛けようともせず核兵器を捨てない、何ともお寒い世界にはほとほと呆れるばかりですoTZ
核兵器は殺傷力と後遺症の両面から人々を苦しめ続ける兵器。分かりやすくゲームで例えれば毒攻撃…大ダメージを受けた上に毎ターンスリップダメージが入るようなものです。ゲームでは薬草だの魔法だの治癒の方法は幾らでもあるから…と思ったそこの貴方。そんな都合の良いものは核兵器にありますか?…それは一生背負うことを強要される、背筋も凍るようなステータス異常なのですよ?
08.8.6.
63度目の鎮魂の朝…oTZ
未だ原爆の被害に未解明な部分があるという事実は、この兵器の非人道性を物語るに足るのではないでしょうか。平和宣言にもあったように、これ以上この苦しみを誰にも味わわせてはならない…そう思います。
08.8.9.
今日は長崎63回目の平和記念式典。平和宣言でも若い世代とNGOに注意を喚起する長崎の姿勢は(良い意味で)変わってないな、というのが印象でした。被爆地の人間として、当方も平和な世界を強く希望する次第です。
09.8.6.
逝った者の無念、遺された者の慟哭、そして知る者の哀悼と誓い――
それらを背負い、今年も64回目の廣嶋の朝が来ました。
当方毎年この日はこのことについて書いてきました。市長の平和宣言でも「こんな思いを他の誰にもさせてはならぬ」という言葉がありましたが、全くもってその通りだと思います。幸いにして今年は麻生首相(当時)と舛添厚労相(当時)が原爆症訴訟終結を決断し、オバマ米大統領が核兵器廃絶への道義的責任を発言したことなど、明るい兆候が幾つか見られています。ただ、個人的に当方は「オバママジョリティ」って言葉はあんまり好きじゃないんですけどねoTZ
当方ホテル勤め(当時)ですが、数日前からの忙しさは今日に向けてのものでした。そして、宿泊者が日本全国、そして世界各国から来られていることは、平和を望む人が世界からこの日に関心を寄せている証拠だと思っています。
では、貴方はいかがですか?
≪最後に≫

YouTubeにあった、原爆投下のシーンを収めた『映像の世紀』動画を置いておきます。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
イモニー
HP:
性別:
男性
職業:
炊飯オペレーター
趣味:
貧乏旅行、甘い物食い、駄文書き
自己紹介:
廣嶋在住の『QMA』カイルと『ドルオン』大好きなダメ人間ですoTZ

※コメント大歓迎です。コメントへの返信は日記内で一括で行わせて頂きますが、個人的な返信が必要な場合はその旨お書き添え下さい。
忍者カウンター
カレンダー
01 2026/02 03
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
ブログ内検索
P R
忍者ブログ [PR]